連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

      良に甘える恵理「おでん 志乃」

 美津子との再会101
  部下が全員帰った後の会社に、急ぎの仕事を片付けるために、良はたった一人残っていた。やっと仕事を片付けた時には午後8時を過ぎていた。パソコンを閉じると、がらんとした部屋が彼の記憶を呼び戻させた。
  「リョウ君に会いたいからに決まっているでしょ。」
  「みっちゃんが旦那様を褒めれば褒めるほど、ママは違う何かを感じたわ。女の業(ごう)かしら?」
  「参萬両」のママの言葉が、妙に良に鮮明に蘇(よみがえ)った。

 美津子との再会102
  「ミツコは俺の前になぜ現れたのだろう?」−何度考えても、その答えは出なかった。  彼は再びパソコンを開いた。 考えをまとめるときに使う、良の落書きが始まった。
○ 美津子、二十年ぶりに「まちかど」に現れる⇒理由:シェフの料理が食べたかった。
○自分と偶然会う⇒思い出話をする 連絡先(住所、電話番号)を教えない 幸せな結婚生活を送っていることが判明
○ 美津子、「参萬両」に現れる⇒理由:不明だが、娘の発表会のついでに立ち寄る  ママの推測:女の業(ごう)

 美津子との再会103
  仕事のことなら落書きをしているうちに考えがまとまり、新しいアイデァも出る。しかし、 美津子の行動の理由−真意だけは測りかねた。
  ○ 「まちかど」に行くべきじゃなかった。○ 「参萬両」に行くべきじゃなかった。
  ○ 美津子に来て欲しくなかった。   ○ 二度と俺の前に二度と現れて欲しくない。  しかし、落書きはいつしか美津子への慕情に変わっていた。

  美津子との再会104
  ○ 美津子に会いたい  ○ 美津子と話していたい
  ○ 俺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)  ○ かけがえのない俺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)   美津子への断ち切れぬ想いが、膨(ふく)らんで止まなかった。 美津子、俺は君のことを忘れようと必死に戦ってきた。いや、君との別れの原因である自分の弱さと、社会の仕組みへの憎しみが、別れた後の俺の命だった。それが唯一の生きる支えになっていた。
 彼の落書きは、いつしか美津子への手紙に変わっていた。決して投函されることのない手紙に…。

 美津子との再会105
 あの頃、俺は君に会うだけで心が満たされた。君と別れたとき、大学卒業後の就職は決まっていたが、組織が優先する企業で働くことの疑問を感じていた。
 友人は「リョウ君かわいそう」と口を揃(そろ)えた。自由に生きるのが俺だったから…。組織で働くことだけではない、もっと根源的な疑問も持っていた。
 「利益を上げること」を第一義的な目的とすることに違和感を持っていたのだ。当時の俺にとって最も大切な二つ−君と自由−を失った俺には何も残らなかった。企業で働く者として俺は失格だった。

 美津子との再会106
  得体の知れない憎しみだけが、俺の唯一の生きる支えだった。今は人並みの仕事をしている。しかし、ここに至るまでは、俺には生きることが苦痛だった。他人の前では明るく振舞いながらも、俺は「なぜ、利益を出すために働くのか?」「誰のために必死に働くのか?」と常に自問自答していた。
 君の影がやっと消えかけたとき、君は突然俺の前に現れた。やっと凪(な)いだ湖に、石を投げてかき乱す美津子…。君は俺に何を求めているのか?

 美津子との再会107
  出すこともない−読んでもらえることもない手紙を俺は書いている。自分自身をもう一度見直すために…。
  ここまで書いたとき、背後に人の気配を感じた。振り返ると、そこに恵里が立っていた。良は慌ててパソコンを閉じた。部下に見せる文ではなかった。
  「部長、かわいそう…」 恵里は目に涙を貯めていた。
  「いつから君はそこにいたの?」
 「さっきから、ずっと…」

 美津子との再会108
  「部長、かわいそう…」
  恵里は背後から良を抱きしめた。恵里の身体の温かさが良を包んだ。それは幼いときに抱かれた母の温かさを思いださせた。親子ほど違う年下の恵里に、今はない母を感じた…。
  「どうしてここに?」
 「忘れ物をしていたからです。部長がお仕事をされていたので、お邪魔しないようにそっと帰ろうと思っていたら、部長の様子があまりにもいつもと違っていたので…」

 美津子との再会109
 良は彼女を振りほどこうと焦った。しかし、彼女はさらに力を込めた。
  「そこまで部長に愛される美津子さんって…幸せ…。」
良の首筋に彼女の涙が流れ落ちた。
 「私が君を泣かせたように見えるじゃないか?」
  「…部長じゃありません…」消え入りそうな声だった。
 「…私が勝手に泣いているだけです…いや、部長です、私を泣かせたのは部長です…違います…美津子さんです、お願いです!…美津子さんには…」
 最後は哀願調になっていた。 彼女の頭の中はひどく混乱しているようだった。

 美津子との再会110  
 恵里を少し落ち着かせてから、二人は会社を出た。
 「部長、お腹が空いちゃった。何か食べさせて下さい。」
 「なんで、こうなるの?」−良は有名なコメディアンのイントネーションを真似た。
 「じゃ、君の食べたいものをご馳走して上げよう。初めての店に入らないか?すべて君に任せる。」
 「うわ 、うれしい!」裏通りに入ると、恵里は良に腕を絡(から)ませてきた。
 「部長とデートしているみたい!」彼女の声は弾んでいた。

 BN(111〜120)

        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良
 
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