連載小説 追憶の旅     「第4章  別れのとき」
                                 作:夢野 仲夫


「第4章  別れのとき」

    (本文) 「日本料理 池田」

 別れの時126 通算1091
 「ダメよ!ダメよ、リョウ君。」恵理は慌てた。
 「ウソだよ、恵理に誕生日のプレゼント。一日遅れだけど…。」
 「エッ!リョウ君わたしの誕生日を覚えていてくれたの?」
 「この手紙がプレゼントだ。いろいろ考えたけど、ドライブと手紙が、俺のできる恵理へのプレゼント。」
 「すぐに読んでもいい?」
 「ダメ!車の中で読んで。」
 「早く読みたい。それまで待てない。」 ふぐ雑炊も手紙が気になって、あまり味わえないようだった。

 別れの時127 通算1092
 テーブルの下に置いた手紙をチラチラ見ていた。
 「渡すタイミングが早過ぎたかな?」
 「ううん、もっと早くくれれば良かったのにぃ…。」
 「でも、料理を味わってくれてないじゃない。」
 「味わっています。美味しいです。」口では言いながら、心ここにあらずであった。
 「デザートまだ?コーヒーも遅くない?」ゆっくり食事を楽しんでいた恵理から落ち着きがなくなっていた。

 別れの時128 通算1093
 「恵理、手紙は逃げないから…。そんなに急がないで…。」急いで読みたがっている恵理に微笑みながら言った。
 「だってぇ、気になる〜。リョウ君からお手紙貰ったことないもん。」
 「恵理のバ〜カ!しっかりしろ、と書いているかもしれないだろう?」
 「相変わらず意地悪なのね、リョウ君。絶対そんなことない。」デザートとコーヒーを済ませると、良に支払いを急がせた。
 「早く車に乗ろ、リョウ君。」


    (本文) 「恵理へのラブレター」

 別れの時129 通算1094
 車に乗ると、彼女は待ち切れぬように手紙を開いた。それは手書きの分厚い手紙だった。
 「恵理、初めて君に手紙を書きます。これがわたしの書いた、人生で二度目のラブレターです。
 君も良く知っている美津子へ書いたラブレターが、私の人生初めての、そして最後のラブレターだと思っていた。
 美津子以外にラブレターを書く自分を想像したことさえなかった。しかし、今の気持ちを恵理に伝える最善の方法だと思っています。」

 別れの時130 通算1095
 「人生の岐路に立っているわたしの、現在の気持ちは不安に満ちています。仕事でもプライベートでも常に揺れ動いています。
 わたしが職場で寂しそうに考えごとをしているとき、ふと見ると、わたしを見つめている恵理。気付かない素振りをしていても、わたしはずっと気付いていた。
 君の上司であることが辛くなるときもあります。 こうして君を思いながら手紙を書いていると、いろんなことが思い出されます」。

 別れの時131 通算1096
 「誰もいない部屋で、読んでもらえない美津子へのラブレターを書いていたわたし。そのわたしを背後から涙を流しながら抱きしめてくれた恵理。 その温かさを今でも鮮明に覚えている。それは幼いころ、母に抱かれたのと同じような温かさだった」。
恵理の目から大粒の涙が溢(あふ)れた。
 「リョウ君、読めない。これ以上読むと…。」運転する良を愛しそうに見つめた。
 そして、涙で潤んだ目で、再び手紙に目を落とした。

 別れの時132 通算1097
 「二人だけで行った『おでん屋 志乃』で見せた君の思いやり。あの日の涙は、部下に見せた初めての涙だった。
 思えば、美津子の幻影の虜から逃れられず、ともすればネガティブな見方に流れがちのわたしだった。
 君を家の近くまで送ったときのことも鮮明に覚えている。そしてその後すぐにくれたメール。途中で途切れたメール。
 電車の中で読みながら、自然に涙が頬を濡らした。恵理の私へ込められた思いがヒシヒシと伝わった。

 別れの時133 通算1098
 わたしは自分自身を疑った。親子と見間違えられても不思議ではない君が、わたしのようなオジサンに思いを寄せてくれているなど、想像さえできなかった。妻も子もいて、その上、冴えないおじさんに…。
 しかも、社内でも若い社員に人気のある恵理が…。あの夜、電車の中で窓に弥勒菩薩と恵理がオーバーラップして浮かび上がった。
 それはわたし自身にも驚き以外の何物でもなかった。それまで弥勒菩薩とオーバーラップして浮かぶのは美津子だけだったから…。

 別れの時134 通算1099
  しかし、それはわたしには重荷になることもあります。 将来ある若い娘の芽を摘んでいるのではないだろうか、という不安が常に付きまとっていて頭から離れない。それは今でも心の片隅でいつも渦巻いて止まない。
 入社してわたしの部下になったときの君を思い出すと、自然に頬が緩むのを感じる。
 大学を卒業したての君は幼くて頼りなさを感じさせる子だった。わたしの部でやって行けるのかと不安を感じていた。

 別れの時135 通算1100
 しかし、予想に反して、君は仕事のできる子だった。間違いがあれば、あの頃から私にもはっきり指摘する部下だった。
 ゴマすりが多い企業で、本当のことをズバリ指摘する君を重宝するようになった。プロジェクトチームに選ばれたときには、常に君を助手に選んだのは当然だった。
 部下でそれを批判する者は誰ひとりいない。君の実力と努力を誰もが認めている。実際、夜遅くまで残業させても、君は弱音を吐かなかった。

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       第4章 別れのとき(BN)
 (0965〜) 親友花村部長と4人で「寿司屋 瀬戸」
 (0986〜) 恵理の葛藤
 (0996〜) レイクサイドホテル
 (1031〜) 美津子との距離
 (1046〜) 美紀のマンションで
 (1066〜) 恵理との小旅行
 (1083〜) 「日本料理 池田」
 (1094〜) 「恵理へのラブレター」
 (1111〜) 「恵理の初めての経験」
 (1176〜) 美津子の秘密「和風居酒屋 参萬両」
 (1196〜)  美紀への傾倒
 (1221〜)  最後のメール