連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫
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  飲食店が軒を連ねる裏通りを二人は歩いた。恵理は入る店を必死に探した。
 「部長、ここに決めました!」
  「おでん 志乃」
上品な暖簾(のれん)が掲げられていた。良も何となく、気に入りそうな予感があった。店内は数席のカウンター席と、数人しか入れない座敷が一つだけの小さな店だった。
上品な割烹着の五十歳過ぎの女将(おかみ)が「いらっしゃいませ。」と声をかけた。店内には他にお客さんはいなかった。店員も他にいないようだった。

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 「部長、『すべて君に任せる』とおっしゃいましたよ、ね。」
 「何だ、あらたまって?」
  「私、ビールを頼んでいいですか?私、今日は酔うまで飲みます。」
 「いいとも!」−これもコメディアンの口調を真似た。
 「でも、酔っ払いは勘弁!」
 「おでんは何になさいます?」
 「まずロールキャベツをお願いします。」 「私も!」
  おでんの鍋を一瞥(いちべつ)しただけで、女将(おかみ)−志乃−の清潔好きがわかった。店内だけでなく鍋もきれいに磨かれていた。それだけで「志乃」の料理が想像できた。料理は人柄そのものなのだ。

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  ダシは限りなく水に近い薄い色でしかも薄味。これに柚子で香りをつける。洋ガラシも置かれていた。
 「美味しい!こんなおでん初めてです。」
 思わず恵理の口から発せられた。
  「これはいい!鈴木君、最高の店を選んだね。」
  「お店の名前と暖簾(のれん)で選びました。」
 女将(おかみ)は黙って微笑(ほほえ)んでいた。 これだけ薄味なら、材料が良くなければ食べられない。材料の良し悪しがモロにでてしまうのだ。

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  薄味のおでんをいくつか食べながら、飲んだビールの影響だろう、恵理はほんのり赤らんでいた。彼女は普段の快活さの上に饒舌(じょうぜつ)になった。
  「ところで、部長、覚えていますか?物静かな常務が顔を真っ赤にして怒ったあの事件。思い出すだけで吹き出しそう、ハッ、ハッ、ハッ…、怒られているときの部長の顔ったら、ハッ、ハッ、ハッ…」 さも可笑しそうに。恵理は笑い転げた。
「あれか!あれは私の大失敗だった。ハッ、ハッ、ハッ…」良もつられて声を立てて笑った。

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 何度上申しても却下する常務の姿勢に、良は勝手に独自に部門の改革を試みた。短期的なコストカットに目を向ける常務の了承を取る手続きを抜いたのだ。
 普段の二人の間は実に良好で、しかも温厚な常務だったが、さすがに怒りが爆発し、部下がいる前で烈火のごとく怒った。
  「部長は神妙な顔をしていたけど、な〜んとも思っていないのがミエミエで、ハッ、ハッ、ハッ…」

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  「下にも強いが上にも強い−部下はみんな言っています。どんな怒られ方をするのか、部下はみ〜んな楽しみにしていました。部長には悪いけど、ハッ、ハッ、ハッ…」
 笑い転げて今にも涙を流しそうだった。
  「悪い奴だ!人の失敗をあげつらって!ねぇ、ママ。」志乃に助けを求めた。 ママも恵理の話に乗せられて声を上げて笑っている。
  「ママさん、それだけではないですよ。部長は間が抜けているから失敗だらけ…」 彼女は良の失敗をいくつも並べ立てては大笑いした。

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 成功談を周りの人に言われるのを、良は極端に嫌った。なぜなら、成功談を延々と言われるのはゴマすりに感じられるだけでなく、むしろバカにされているように思えたからだ。逆に失敗談の方が、はるかに快く感じた。
  「それだけじゃありません、部長。『部長は抜けたところがあるので、自分がいなければこの部門はやっていけない』とみんな言っていますよ〜。
 実は私も思っています!あ〜あ、言っちゃった、ハッ、ハッ、ハッ…」

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 良もママもこれには笑ってしまった。しかし、良にはすべて恵理の気持ちが分かっていた。良は失敗を並べられると、次の仕事に燃えることを知りつくして話しているのだ。それは美津子を忘れさせる唯一の方法だとも…。
 娘と間違えられてもおかしくない恵理の思いやりに、良は胸が込みあげるのを感じた。
 「鈴木君には勝てない!ハッ、ハッ、ハッ…」 恵理の思いやりをすべて分かっているのを、恵理にもママにも読みとられないように、彼も声を立てて笑った。

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  「部長、トイレ。」立ちあがった彼女の足元がフラつき、一瞬彼女の胸が良の手に触れた。
 「部長のエッチ!部長が胸に触った〜。このヘンタイオヤジィ〜。」恵理は急に真顔になって、
 「部長、もっと触りたい?」悪戯(いたずら)ぽい目つきで良を見た。
 「もう、勘弁してくれよ。酔っ払ってしまって…」
 「触りたいなら触らせてあげようか?」 それは彼女の本心のようでもあった。
 「ママ、何とかして!私の手には負えない。」ママはゲラゲラ笑い転げた。 若干ふらつきながら恵理はトイレに行った。
 「いいお嬢さんですねぇ。部長さん、あなたはいい部下を持って幸せですねぇ。」
 しみじみとママが言った。彼女は何もかもお見通しなのであろうか?

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 トイレから出た彼女は良の背後に来て、後ろから彼を抱き締めた。
 「少し酔っちゃった…。部長ごめんなさい…」 
 彼女に抱かれると、亡くなった母の記憶が蘇(よみがえ)った。
 「部長は私を嫌いになったでしょう?部長は酔っ払いが大嫌いだから…」
 彼の首に涙が流れ落ちた。
 「部長さんはあなたのことが大好きみたいよ。あなたのように若い人にはわからないかもしれないけど…」
 「ホント?ママ。」ママの一言に明るい彼女が戻った。それほどママの言葉には実感があった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良

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