連載小説 追憶の旅     「第5章  新たな出発」
                                 作:夢野 仲夫

「第5章  新たな出発」

    
(本文) 恵理の引っ越し「おでん屋 志乃」

 新たな出発21 通算1301 良の周りから一人、一人去っていった。妻、美津子そして恵里。現在のしがらみを何もかも捨てて、自分を知らない町で、新たな人生を送りたいと考えていた良であったが、逆に良から大切なものまで去っているように思えた。
 恵里を腕枕して眠りながら、良は自分の業の深さを思い知らされた。
 「リョウ君、眠れないの?何を考えているの…?」
 「…恵里…俺は本当に必要な人間だろうか?」

 新たな出発22 通算1302
 「寂しいこと言うのね…。わたしリョウ君からいっぱい幸せをもらったのに…。もっともっと、自分の存在を確かめたいの…?」 「…。」
 「わたしは小さな幸せで満足しているの…。こんな自分でありたいと願うことはあるけど…どんなにもがいても、自分で描いた理想の自分は本当のわたしだろうかと、逆に思ってしまう。」
 「恵里は強いねぇ。」
 「違います。誤解されるといけないけど、今を大切に生きるだけ…。」 「…。」

新たな出発23 通算1303
 「リョウ君とこうして過ごしている今が、わたしには大切なの。」
 「もうすぐお別れだね、恵里。」
 「言わないで…お願い、言わないで。」 恵里は横向きになって良を抱きしめた。そして左手で彼の背中を掻いた。 子どもの頃、母に抱かれた時のような安らぎを覚えた。
 「わたしを女にしてくれたリョウ君。思い出を一杯くれたリョウ君…。」 彼はそっと恵里の唇に指で触れた。恵里はそれを軽く噛んだ。

 新たな出発24 通算1304
 「リョウ君の匂いを嗅ぐと落ち着くの。好きよ、リョウ君。」「恵里…。」
 「わたしだって本当はリョウ君の傍にずっと居たい。でも、これは運命だと思って受け止めるしかないの。」「恵里…。」
 「いつか別れは来る。リョウ君と結婚できるはずもないし…。すべて分かっているの…。でも、今だけ、今だけでいいからわたしのことだけ考えてね。それで幸せなの…。」 恵里の目から涙が流れ、良の胸にこぼれ落ちた。

 新たな出発25 通算1305
 寂しさを耐えている恵里の気持ちがヒシヒシと感じられた。
 「こんな我侭な俺を、恵里はずっと支えてくれた。仕事でもプライベートでも…。妻以上の存在だった。」
 「それ以上言わないで…。わたし…わたし…リョウ君の傍を離れられなくなる…。これからもきっと会える、引越ししてもきっと会える−自分に言い聞かせているのに…。」
 「そうだよ。いつでも会えるよ。」
 「きっと会ってね、リョウ君。約束して…。」


    
(本文) 恵理の送別会「地鶏屋」

 新たな出発26 通算1306
 恵里と美紀を連れて良は「地鶏屋」にいた。三人で飲む最後の機会であった。恵里が最後の機会として選んだ店だった。美津子にもらったネクタイに取り乱し、酔って美紀のマンションに泊まった忘れられない記憶がそうさせたのだろうか?
 あの夜二人は美紀のマンションで初めてキスをした。良も美紀もそれは分かっていた。しかし、決して口にはしなかった。

 新たな出発27 通算1307
 「恵里、今夜は飲もう。いつでも三人で飲めないから…。」美紀は決して最後という言葉を使わなかった。
 「とり肝ととり皮が美味しかったよね、恵里。どんどん食べて飲もう。大きい財布が付いているから安心。」美紀が盛り上げようとしても恵里は黙って頷くだけであった。
「恵里、笑ってよ。お通夜みたいなお酒は止めようよ。」
 「…美紀が羨ましい…。部長といつでも会えるのね…。」

 新たな出発28 通算1308
 「わたしだけ…一人ぼっちに…。」
 「俺もときどき出張があるから、そのときは絶対に君と会うよ。」
 「ホント?絶対よ!約束してくれる?」
 「約束するよ…。俺が君の赴任する支店に出張があるのは、君が一番良くしっていることじゃないか?」
 「わたしも付いて行きたいなぁ。」
 「ダメよ、美紀はお邪魔虫。来てはダメ!」
 「恵里って冷たいのね。友達じゃない、わたしたち…。」

 新たな出発29 通算1309
 良の一言に恵里はやや明るさを取り戻した。
 「さぁ、どんどん食べて飲むわ。美紀も飲もうよ。」
 「オイオイ、勘弁してくれ!」
 「出ました!得意の勘弁してくれ。これを聞かないと飲んでる気がしない、ねぇ、恵里。」 「うふ、その通りね。」
 ここでも美紀の明るさに良は救われた。 助け舟が欲しいときに、常に良を支える美紀に頭が上がらない良であった。

新たな出発30 通算1310
 「わたし、今日は飲むからね。部長覚悟して…。お金一杯持ってきている?足らなくなっても知らないから…。そうだ、足らないときは部長が皿洗いをして帰ればいいんだ。恵里とわたしは先に帰るからね。」
 「ダメよ、美紀。三人でするの。」
 「わたしはイヤよ、二人に任せるわ。仲良く二人で皿洗い。思い浮かべるだけで、噴出しそうになる、ハッ、ハッ、ハッ。」 言いながらも普段と変わらないペースであった。

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 第5章 新たな出発(BN)
 (1281〜) 恵理の引っ越し「おでん屋 志乃」

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