連載小説 追憶の旅     「第5章  新たな出発」
                                 作:夢野 仲夫


「第5章  新たな出発」

    
(本文) 恵理の新天地

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 遠くない時期に退職するかもしれないために、彼は時間を見つけては得意先を回った。
彼が若いときに開拓した得意先では、相手方の担当者も、すでに部長とか課長になっていた。また、いくつかでは役員、社長にもなっている者もいた。
彼が顔を出すと「珍しい人が来た。何の風の吹き回しかな?」と忙しい時間を割いて大歓迎してくれた。そして、十四、五年前の昔話に花が咲いた。

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 「どうしたんだ、良君?何かあったのか?」と心配してくれる得意先もあった。
 「イヤイヤ、久しぶりにお顔を拝見したくて…。」彼を良君と呼ぶ得意先の経営者も一人や二人ではなかった。
 「君には色々教えてもらったよ。わが社が今日あるのも君のお陰だ。」と感謝してくれる者もいた。
 「得意先に向かってズケズケ言う、うるさい担当者は君だけだった。若造がと最初の頃は腹がたったもんだ…。」

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 「それは大変失礼しました。根が正直なもので…。」
 「相変わらずだねぇ、君は?まぁ、何かあったら私に言ってくれ。」
 二十年の彼の営業の仕方が間違っていなかったことを実感した。「お互いにハッピー」が彼の営業の基本であった。
 時には得意先の経営に疑問を呈したこともあった。そのために出入り禁止になった企業もある。しかし、彼は自分の営業の基本は決して変えなかった。時間はかかったが、取引先の信頼は厚かった。

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 一方で、彼は就職のための雑誌を何冊か買って、それをアパートで毎晩眺めた。
しかし、彼の望む待遇と職種は皆無であった。受け入れてくれる得意先も頼めばある。実際に今までにも声を掛けてくれた企業もあったが、彼はそれを潔しとしなかった。
新婚生活を夢見る恵里を思い浮かべる度に落ち込んだ。
「俺の小さな取るに足らないプライドが…。」良は捨てきれぬ自分自身の心の狭さを感じずにはいられなかった。

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 「俺は何を求めているのだろう?何を失うことが怖いのか?何を失ってならないのだろうか?」自問自答を繰り返した。
 「人は何処に赴くことができる。しかし、何処に赴こうとも、自分よりかわいきものはなし。」聖人の言葉が胸に響いた。
 「恵里のためにすべてを捨てきれぬ自分とは一体何なのか?プライドが自分なのか?」
美津子を失ったのもプライドであった。妻や子を失ったのも、見方によってはプライドであった。

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 しばらく経った土曜日に良がアパートに帰ると部屋の電気がついていた。消し忘れたのかと思ってはいると恵里が来ていた。
 「お帰りなさい、リョウ君。」
 「どうしたんだ、急に?何かあったの?」
 「驚かせようと思って連絡しなかったの。」「何かあったのかと心配するじゃないか。」
 「会いたかったの…。」彼女は彼にしばみついた。
 「ママが、浮気されないように行って来なさい、と勧めるのよ。」

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 「それにリョウ君の生活をチェックできるもん。」
 「俺は恵里に心配をかけること何もしてないよ。」
 「分かっているの…でも、心配なの…。」良の腕の中で甘える恵里。
 「お腹が空いたよ。恵里も空いてない?」
 「急に思い立って電車に飛び乗ってきたからペコペコ…。何か作ろうかとも思ったけど、リョウ君が買い物してきたらいけないので何も準備してないの。それにさっき来たばかりだから…。」

       おでん屋 志乃

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 「じゃ、食事に行く?どこに行きたい?」「リョウ君の行きたいところならどこでも…。でも、出来たら志乃に行きたいなぁ。ママさんに会いたいなぁ。」
 早速志乃に出向くと、二人を見たママは驚いた様子だった。
 「恵里ちゃん、引越し止めたの?」「いいえ、引っ越しました。今日はこちらに遊びに来ました。」
 「好きな人に会えて良かったねぇ。」
 「はい。とても嬉しいです。」恵里の明るい表情にママも安心した様子であった。

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 「それにママさんにも会いたくて…。」
 「嬉しいわ、恵里ちゃん。今日はゆっくりできるの?」
 「はい。ママさんに報告したいこともあって…。」言いながら良に目をやった。
 「どんなこと?恵里ちゃんの顔には、いいこと、と書いているけど…。」
 「ホントですか?」
 「分かるわよ。この前とはまるで違うもの…。教えて…。どんないいこと?」
 「それよりお腹ペコペコです。お勧めのオデンを下さい。それとビールもお願いします。」

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 「まぁ、気づかずにごめんなさい。商売を忘れてたわ。商売、商売…。」言いながらビールとオデンを出した。
 「私も頂いていい?何か分からないけど乾杯!」三人はグラスを合わせた。
 「恵里ちゃん、教えて…。どんないいこと?」
 「好きな人にプロポーズされたの。」
 「良かったわねぇ、おめでとう恵里ちゃん。」ママの言葉には実感がこもっていた。
 「ありがとうございます。わたし、嬉しくて、嬉しくて…。」

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 (0986〜) 恵理の葛藤
 (0996〜) レイクサイドホテル
 (1031〜) 美津子との距離
 (1046〜) 美紀のマンションで
 (1066〜) 恵理との小旅行
 (1083〜) 「日本料理 池田」
 (1094〜) 「恵理へのラブレター」
 (1111〜) 「恵理の初めての経験」
 (1176〜) 美津子の秘密「和風居酒屋 参萬両」
 (1196〜)  美紀への傾倒
 (1221〜)  最後のメール
 (1255〜) 江戸蕎麦「悠々庵」 *リンク間違いをまたまた

       
 第5章 新たな出発(BN)
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 (1361〜) 恵理の新天地
 (1408〜) おでん屋 志乃

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