連載小説 追憶の旅 「第1章  美津子との再会」

                                   作:夢野 仲夫

 美津子との再会291
  「ミツコ、この良い匂いには記憶がある。」
  「やっと気付いてくれたの?気付いてもらえないかと思った。」
  「君の家に泊まったときの…。」
 「そう、あの時の石鹸の香り…リョウが私を思い出してくれるたった一つの香り…昔、一度だけ聞いたことがあったから…」
  「まったく同じじゃないけど、同じような浴用石鹸を探したの。今日あなたと会う前に使ってきたのよ。」
 「ずっと気づかなかった。ごめん、君と会っているだけで…」

 美津子との再会292
 「わたしと会っているだけで…何?リョウ。」
 「……」 良は答えなかった。何を言ってもウソになり、やがてすぐに消えてしまいそうで… 。美津子は良の気持ちを察したようだった。彼の太腿に置いた手に力を込めた。
  彼女の手が彼の太腿でモゾモゾ動いた。
  「くすぐったいよ、ミツコ。止めてくれ、運転ができない!」
  「ダ 〜メ!リョウじっとしていて。」
 「リョウ、何を書いたか分かった?」
 「いや、分からない。」

 美津子との再会293
  また同じように動いた。今度は良にもはっきり分かった。
 「バ、カ」 「コラっ!ミツコ!」「ごめん!」
 「ダ、イ、ス、キ」 これも二十年前と同じであった。まるで恋に恋する中学生のような戯(たわむ)れだった。
 「リョウ、ありがとう。とっても楽しかったわ。こんな気持ち久しぶり。」  別れ際に美津子は良の手を愛しそうに両手で握り締め頬に当てた。彼女の使った浴用石鹸の匂いが微かに感じられた。
 「大好き、リョウ!」 彼女の後姿をずっと見ていた。

 美津子との再会294
  その夜、良は母の夢を見た。彼が幼い時の夢だった。
  「リョウ君、人に迷惑をかけてはダメよ。」
  「リョウ君、男の値打ちはお金の出し方にあるのよ。お金を出すときはすっと出すのよ。」
  「リョウ君、悪者の家というのがあってね。どんな悪者が住んでいるか恐る恐る見に行った人がいるの。すると、その家で何かが起きたとき、『私が悪かった』『私が悪かった』と、そのお家の人はみんな自分が悪かったと言うの。だから悪者の家」夢の中でも母は良に繰り返した。 それは何度も何度も子守唄代わりに聞かされた言葉だった。

 美津子との再会295
 夢の中の母は当時と同じように優しい笑みを浮かべていた。 目が覚めたとき良はなぜか涙を貯めていた。
  「俺は周りに迷惑をかけてないだろうか?母の願った男になっているだろうか?」 自分の家族だけでなく、年端(としは)のいかない若い恵里にまで慰められている。
 それだけではない。美津子と別れた後の「千晴」との恋の罪悪感も彼を苦しめた。母が望んだ男とはどんどん離れているように思われてならなかった。
 考えれば考えるほど深い闇(やみ)の中に落ち込むのだった。

 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 美津子との再会296
 「ママ、俺はダメな男だ。どんどんダメな男になって行きそう。」
  「リョウ君何かあったの?ママに話してごらん。少しは気が晴れるから。」
 閉店間際の「和風居酒屋 参萬両」のカウンターで飲めない酒を飲んでいた。
  「ママ、ビール。」
 「もう、今日は止めなさい。」「もう一本だけ。」
 「ダメ!リョウ君。」 「ママ…」
 彼はポタポタ大粒の涙を流した。

 美津子との再会297
  「みっちゃんのことね。リョウ君会っているのね。」
  「彼女に会うと二十年前の俺に戻れるんだ。会っているだけで幸せなんだ。頭の中では会わない方がいいと分かっている。でも、でも、ミツコに会いたくて。会うとあの頃と同じように胸がときめく。俺はあの時、美津子を両親から強引に奪えば良かった。」
  ママは黙って聞いている。マスターは聞こえない素振りで黙々と後片付けをしている。

  美津子との再会298
  「ミツコと別れた後、俺は自暴自棄になっていた。ママも知っているだろう。」 良はしゃべり続けた。
 「俺との結婚を必死に願っていた千晴も傷つけてしまった。彼女は俺と本当に結婚したかったんだ。俺はそれをわかっていた。」
  「ミツコと違う。千晴と別れた理由はそれだけ。たったそれだけ…」
  「あの子はリョウ君一筋だった。一途にリョウ君を慕っていた。ママもそれは知っていた。」

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  「あの子が泣く泣く見合い結婚をしたのも、ママは知っている。」
  「俺だって知っているよ。見合いした相手と会っているのを見たことがある。」
  「そうだったの。」
  「俺に気づいた千晴は手紙をよこした。でも俺はそれを読まずに破って捨ててしまった。彼女が未練を残さないようにと思ったから…。」
  「そういうこともあったの?」

 美津子との再会300
   「その後、何通も手紙がきた。しかし、俺はすべて読まずに破いた。彼女の一途な思いをズタズタに傷つけてしまった。千晴は今でも俺を恨んでいるだろう。」
  「あの頃どうしてもミツコを忘れられなかった。結婚するならミツコのような女性と俺は決めていた。俺にとって彼女がすべてだったんだ。」
  「二十年ぶりにあったミツコは、俺が想像していた以上にあの頃と同じだった。いや、それ以上の女性になっていた。」
 良の饒舌(じょうぜつ)は止まらなかった。

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        第1章 美津子との再会(BN)
 (0001〜) 偶然の再会「イタリア料理まちかど」
 (0021〜) 別れの日
 (0034〜) 家族の留守の夜
 0047〜) 初めての衝撃的な出会い
 (0053〜) キスを拒む美津子
 (0070〜) 恵里と美紀との食事 フランス料理「ビストロ シノザキ」
 (0091〜) 一人で思いに耽る良「和風居酒屋 参萬両」
 (0101〜) 良に甘える恵理「おでん 志乃」
 (0123〜) 恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋 参萬両」
 (0131〜) 恵理と食事の帰り路「おでん 志乃」
 (0141〜) 再び美津子と出会う「寿司屋 瀬戸」
 (0161〜) 恵理のお見合いの結末「焼き肉屋 赤のれん」
 (0181〜) 美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館 水無川(みながわ)」
 (0195〜) 美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋 鳥好(とりこう)」
 (0206〜) 美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
 (0236〜) 恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋 瀬戸」
 (0261〜) 美津子からの電話
 (0280〜) 深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン ドリームブリッジ」
 (0296〜) 飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋 参萬両」
 (0301〜) 美紀のマンションで目覚めた良
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