連載小説 追憶の旅  「第3章  良の苦悩」
                                 作:夢野 仲夫

 良の苦悩111 通算741
 「子どもの遊びに付き合っていられない。じゃ。」
 彼は支払いを済ませると先に店を出た。
 「わたしたち子どもじゃない!」 二人の罵声(ばせい)を背中で聞きながら、彼はスタスタ歩いた。
 「部長について行く?恵理。」
 「ダメよ、美紀。部長は一人になりたがっているじゃない。」  良は二人を無視した。
 急ぎ歩きで「クラブ 楓(かえで)」に入った。
 「珍しいこと、部長さん。」 馴染(なじ)みのホステスが声をかけた。

 良の苦悩112 通算742
 入ってきた良の周りを数人のホステスが囲んだ。
 「最近は不景気でこの通り。」 やや料金の高い店を敬遠するのであろうか、店の中には客は一人も居なかった。
 良はそれほどとは思わなかったが、このエリアで美人姉妹が務める店として知られていた店だった。
 周りを取り囲んだホステスが「部長さん、ご馳走して頂いていいですか?」 とキープしているウイスキーを水割りにして飲んでいる。
 さらにママがオードブルまで出した。まさに鴨ネギ状態だった。

 良の苦悩113 通算743
 「部長さん、何かありました?」 姉の朱里(あかり)が声を掛けた。
 「いや、何もないよ…。」
 「部長さん、顔が言っていますよ。」 彼が課長のとき常務に初めて連れて来てもらってから数年経っていた。常務が彼女を贔屓(ひいき)にする理由も理解できた。
 「わたしも頂いていい?」 かなり年配のママは売り上げが心配なのだろう。自分だけでなく、ホステスのもどんどん勧めた。
 ママを中心に盛り上がったが、良は逆に落ち込むのだった。

 良の苦悩114 通算744
 「楽しくやりましょうよ、部長さん。」 ママはすでに酔いが回っているようだった。
 ホンの一時間もいただろうか?彼は耐えられずに店を出た。
 「部長さん、悩んでいるのね?」 朱里(あかり)が彼について出た。
 「ママには了承を取ったから…。わたしがときどき行く店に行きますか?」  朱里(あかり)が良を心配していた。
 このエリアでも有名なホステスになった理由も、お客を思いやるからであろう。

 良の苦悩115 通算745
 彼女はカウンター席が十席ほどの小さなスナック「加世(かよ)」に入った。この店もお客は一人しか居なかった。 朱里(あかり)と同年代の中年女性の店であった。
 「ママ、部長さんに水割り。わたしも同じものを…。」
 「このママは信用できるから、安心して話してもいいわよ。」
 「何もない…。でも、ありがとう。悪いけど、君の店では落ち着かなかったよ。いつもは良い店なのに…。」
 「今日はお客さんが少なかったから、ママも部長さんに無理をさせたかも…。」

 良の苦悩116 通算746
 「部長さん、お歌いになりませんか?」 ママが歌本を差し出した。朱里(あかり)が慌ててそれを止めた。
 「部長さんは歌わないの。数年前までは良く聞かせて頂いたけど…。」 時代によって歌は変わることを理解はしているが、最近の歌に、彼は興味がまったく持てなかった。
 「これが歌?」と思えるような曲が氾濫している。そのため彼はカラオケにも興味を失っていた。
 「常務さんはお元気ですか?」ややハスキー声の朱里(あかり)が話題を変えた。

 良の苦悩117 通算747
 「ああ、とても元気。元気過ぎるくらいでね。わたしなどいつも怒られている。」
 「ウソでしょう。部長さんは常務さんの一番のお気に入りですよね。わたしの店に来るたびに柳原を今から呼べ、とおっしゃるので、それを止めるのに大変。」
 「へぇ、知らなかった。あの常務がねぇ。言い出したら聞かない頑固者だから、大変だろう?」
 「ふふ。」
 「何かおかしいことを、俺言った?」

 良の苦悩118 通算748
 「常務さんも、部長さんのことをあの頑固者(がんこもの)とおっしゃっていました。ふふ。二人は親子みたい。」
 「そう言えば新入社員の頃、周りから良く言われたよ。親戚(しんせき)だろうって。」
 「面倒だから、叔父(おじ)さんだと答えていた。」
 「周りの人は驚いたでしょう?」
 「ああ、やっぱりそうなんだ。という感じだった。」
 「新入社員のときから、『柳原、柳原』と言ってはわたしの職場に顔を出してね。わたしの顔を見ると、『オイ、飲みに行くぞ!』」

 良の苦悩119 通算749
 「オイ、オイと言うから、わたしは甥(おい)だと言ったんだ。」
 「相変わらず部長さんは冗談がお好きね。」 朱里はわざと常務の話をした。良が悩みを抱えていることを悟(さと)っていたのだ。
 「部長さん、好きな人ができたのね。」 
 「エッ!」 言いだすタイミングを図(はか)っていたのだろう。
 「お仕事の悩みと違うみたいね…。まさか、焼けぽっくいに火が付いていたりして…。」

 良の苦悩120 通算750
 「なぜ、そう思う?」
 「恋をしている人の目は同じ。どこかを見つめるような、何かを思い出すような…。」
 「でも、良い恋じゃないみたいね。話が込み入っていそうね。だからわたしは聞かない。」
 「どうしてそんなことが?」
 「わたしもこの世界二十年よ。それに離婚の経験もあるのよ。」
 「知っているよ。常務がおっしゃっていた。」
 「常務さんはおしゃべりね。部長さんには何でも話すようね。恐い、恐い!」

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       第3章 良の苦悩(BN)
 (0631〜) 恵理の葛藤「おでん 志乃」
 (0651〜) 良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ 志摩宮」
 (0671〜) マンションに誘う美紀
 (0686〜) 美津子から急な呼びだし
 (0701〜) 美津子の夫のアメリカ赴任「料亭 古都」
 (0731〜) 宣戦布告以来初めて3人で食事「豆腐料理 沢木」
 (0741〜) 馴染みのバー「クラブ 楓(かえで)」
 (0756〜) 人生の転換期の苦悩「ビストロ シノザキ」
 (0771〜) 美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理 ローマ」)
 (0806〜) 美津子と想い出の店で「和風居酒屋 参萬両」
 (0823〜) 美津子との復活
 (0856〜) フランス料理「右京」
 (0881〜) スナック「佳世(かよ)」
 (0891〜) 美紀と初めての夜
 (0916〜) 良の家庭崩壊「寿司屋 瀬戸」
 (0936〜) 美紀の苦悩

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