温泉評論その08「権化温泉」
*今回の温泉評論は09回以前に書いた物です。

 今回の私の温泉評論は極めて高度な内容である。生物学のみならず、その根底となるであろう深遠な哲学を内包している。この論理を進められるのも、「ゆららの湯」なくしてはあり得ない。恐るべし、「ゆららの湯」。

 そのために読者の中には途中でイヤになる人も出てくるであろう。いつも途中でイヤになっているって?それを言っちゃおしめぇだよ、おっちゃん。

 さて、動物学的に言えば、オスはメスの付属物である。オスが居なくてもメスだけ存在すれば、次の世代にそのDNAは受け継がれる。地球上には、実際そういう生物も存在するらしい。

 ではなぜ、オスが地球上に存在するのであろうか? われながら問題提起の鋭さに驚きを隠せない。露天風呂から見える「人魚の壁画」がそれを可能にしているのだろうか?

 それはおいといて、オスが居なくて困ることは何であろうか。この問いの答えが、即ち不必要なオスが存在する理由といえよう。従って、ここから論理展開しなくてはならないだろう。

 地球上にはあらゆる生命体が存在する。ある生物にとってそれらはすべて有益
な存在だけではあるまい。ある生命体にとって、その存在自体を否定する生物もいる。人に例えれば病原菌がそれにあたる。

 まったく同じDNAであれば、それに強い病原菌に攻撃されると、たちまち種の存続−ヒトで言えば人類の存続−が困難になる。DNAの組み合わせを変えることによって、一つの病原菌にその存続を危うくされない複数の形のDNAを持つ必要がある。それにはDNAの組み合わせを変えるための媒体が要る。その役割を果たすのがまさしくオスなのである。

 メス(人で言えば女)は自らのDNAを残すために、より強いDNAを求める。マンモスを食べていた時代にはマンモスを捕るのが巧い男がモテたのもうなづける。これについては前にも書いたのでクドクド説明するのは、決して私の本意ではないが、オスはメスのDNA存続のリスク回避の手段に過ぎないことだけは述べておく。

 オスとはその発生理由からして、かくもはかなく、悲しいものなのである。それゆえ、オスの背中には常に悲しさが漂っているはず。(たぶん)

 この論理は最終的にはどういう結論になるであろうか?賢明なる君たちには分かるはず。分からないって?君たちには想像力のカケラも無いのか!

 オスはすべからく肉食系でなければならない。メスのDNAを何億年の先まで残せるように、努力することこそオスの使命であり、宿命なのである。つまり、草食系はオスの存在自体の否定であることが理解できよう。私の論理はますます冴え渡る。まさしく無敵無敗、不適腐敗。

 この論理の行き着く先は明々白々である。多くのメスのDNAの保存のために、オスは日々努力を惜しんではならないということだ。「単なる助平」だって…。それを言っちゃオシメーよ!

天然温泉:ゆららの湯 住所:愛媛県松山市高岡町125−1

泉質: ナトリウム泉 施設:メインの湯・サウナ・バブル・水風呂・露天風呂がある。特にジェットバスは勢いが強い。また、別の建物には家族湯、動物のための温泉もある。(ただし、象とか麒麟は無理W)

料金:大人 800円  子ども 500円


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