その16「ベッセルおおち」

 海の見える温泉である。中はそれほど広くはないが、サウナ・水湯・歩行湯・泡風呂・露天風呂など、温泉の定番はそろっている。小さな露天風呂に浸かれば、自然の中に身を委ねた気持ちになれる。休日には周辺の人々の憩いの場になるようだ。

 私は常に悩みを抱えている。しかし、私の弟子たちには何の悩みもないようだ。この違いは何から生じるのか?常々思い悩んでいた。ところが、この温泉に入ってじっくり思いをめぐらせた結果、その原因と全貌が明らかになっていったのである。

 私はいわゆる「高所恐怖症」である。しかし、これは決して病気ではない。ヒトがより進化していくための重要かつ不可欠な要素なのではないか?私の原因究明はここから始まる。

 アナタはヒトの進化の過程をとっくの昔からご存知でしょう。木の上の生活から地上に生活の場を移し、2本足歩行になって手を自由にした。そして、火を使うことを覚え、さらに言葉を発明した。今日の我々の生活のすべての基礎はここにある。

 その中でも最も大きな分岐点は木の上の生活から、地上に降りたことである。最新のDNAの専門家によれば、我々生命体の体も精神も、DNAが自らを守るために存在するという。

 地上での生活を始めたヒトのDNAはこのとき、新しいDNAを生み出した。それはヒトが2度と木の上の生活に戻らないような強いロックをかけたのではないか!?私の推理は冴え渡る。

 高いところでは不安を覚える、ナイーブな精神と細やかな神経になるDNAを私に与えたのではないだろうか?つまり、ヒトがさらに進化するために、2度と木の上の生活に戻らぬようにしたのであろう。

 これはDNAの研究者の間では常識であるかも知れない。厚かましい人の心臓には毛が生えているのを知っていても、医者が誰も口にしないタブーとまったく同じではないのか?

 ところが、すべてのヒトにはロックをかけなかった。なぜなら、地上での生活でヒトが生きられない状況になったとき、いつでも木の上の生活に戻ることを可能にしているのではあるまいか?

 つまり、高いところでも平気な無神経なDNAを残しておいたのであろう。私の弟子たちは、まさにこの無神経でデリカシーのカケラもないDNAの持ち主である、と考えればすべて辻褄があう。

 ロックがかかったナイーブなDNAを持つヒトと持たないヒトの区別は明白である。高いところに登ることが妙に好きな私の弟子たちを思い浮かべると、ロックがかかったDNAを持っていないことは明白である。―これは誰でも分かる。

 ホテルでは高い階に止まりたがる私の弟子たちの行動パターンからでも分かる。逆に、3階以上の建物の中では不安を感じる私は、間違いなくロックのかかったナイーブで、傷つきやすく、繊細なDNAの保有者であることも、これまた明白である。歩道橋、橋などを渡るときでさえ、足が震える事実からも100%間違いない!

 外の見えるエレベーターに乗るとさらに分かりやすい。外が怖くて見られなくて、逆を向いて震えている私には強いナイーブで、傷つきやすく、繊細なロックがかかっていることを、誰しも認めざるを得ないだろう。これは決して私が臆病だからではない!!私の進化したDNAがそうさせるのである。

 飛行機ではもっと良く分かる。私は可能な限り飛行機に乗ることを避ける。万一、乗らなければならないときは、決して窓際の席には座らず、通路側の席を求める。これも私が決して臆病でビビッている訳ではないことが、賢明なアナタには容易に理解されると思う!ヒトが進化するためのDNAがそうさせているのである。換言すれば、人類の将来が懸かっているのである。

 逆に無神経なDNAを持つ弟子たちは、飛行機に乗ると嬉々としている。この飛行機が落ちると痛いという想像すら出来ないのである。

 ロックのかかった「ヒトの進化の将来を託されたナイーブで神経の繊細な私のような少数のヒト」と「いつでも先祖帰りできる弟子たちのように無神経なヒト」の割合のバランスはまさに見事ではないか!

 常に人類は多数派を正常と言い、少数派を異常・病気と決め付ける。弟子たちも私のことを「高所恐怖症」と馬鹿にしている。しかし、これは大きな間違いである。広く言えば、将来を託された私のDNAの存在に気づかないだけである。この温泉でまったりすることによって、高いところが苦手な謎がやっと解けたのである。温泉はいいなぁ!

 ベッセルおおち 

 香川県東かがわ市馬篠1200

泉質:中性低張性冷鉱泉 温泉自体は大きくはないが、海に面した温泉のために、露天風呂から見える景色は素晴らしい。海を見ながら温泉に浸るのは実に爽快である。また、スタッフも気さくな人が多く、初めての客でもリラックスできる。

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