食べ物評論家田部亭 空家 (たべて からいえ)の
  温泉評論その18 みはらし温泉

 広島県三原市にある温泉で、掛詞の?みはらし(三原市と見晴らし)通りに三原市の見晴らしの良い温泉である。やや土色の温泉はいかにも身体に良さそうに感じる。また、温度管理もしっかりしていて、好きな温度の湯船でゆったり気分で温泉を楽しむことができる。

 ところで、瀬戸内圏では桜の時期は終わった。古来、花といえば桜である。桜を語らずして花を語る者はどんだけー、と誰かも言ったはず(たぶん)くらい桜は美しいのである。

 美しさの根拠はその命の短さにあると多くの人は語る。では、なぜ短いのか語る人はいない。私はこの問いー桜の美しさとはかなさーに寝食を忘れて取り組んだ。これから述べることは、3度のメシを4度にして、睡眠を1日に12時間に短縮してまで研究に没頭した、涙なくしては語れない偉大なる成果である。

 その前に述べておかねばならぬことがある。私のこの結論を導くに当たって、重大なヒントを与えてくれた方がいる。その方は学会ではなく、週刊誌にその偉大なる論文を発表されていた。いわく「桜の木の下には霊魂が眠っている」と…。

 私は彼の研究を進化発展させただけに過ぎない。万一、私の研究成果が高く評価されるとしたら、その大部分は彼に与えられるべきである。私にこのヒントを与えてくださった方のご冥福を祈りたい。何!今も生きているって!そんなぁ…。失礼しました!!だが、諸君!そんな些細な事項にこだわるべきでは、断じてない!

 さて、そんな些細なかつ取るに取らないことはさておいて、桜はなぜかくも美しいのか?結論から申せば、それは桜の木の下に眠っている霊魂が、各地の春の訪れとともに、花になって表れるからだ。盆には霊魂が生前の自宅に帰るように、ほんの1,2週間だけ桜の花となって、この世に現れるのである。換言すれば、あの儚(はかな)げな薄いピンクは霊魂の儚(はかな)さの現われなのである。

 人びとは桜の下で花見をする。このとき彼らは酒を飲み交わす。これは霊魂との語らいである。また、霊魂と語らうためだけでなく、己自身の身を清めるためにも、酒を飲み交わすことは大切な儀式なのだ。だから、花見には酒がなくてはならない。それも清酒でなければならないことは自明の理というものである。お茶・ジュースでは身を清めることは不可能であるから…。

 人は酔うほどに霊魂との差を縮め、酔うほどにその身が清められる。グデングデンに酔うほど霊魂との一体化が可能なのである。単なる酔っ払いなどと失礼を言ってはいけない。これは聖なる儀式である。彼らは全身全霊をかけて鎮魂の儀式を執り行っているのだ。彼らは酒が好きで飲んでいるのでは、断じてない!

 だが、最近は清酒だけでなく、ビールを飲む人、発泡酒は呑む人も増えている。これでは決して身を清めることも不可能だし、霊魂との語らいもできない、と私は今まで信じていた。ところが、私は大きな間違いを犯していた。思考するに当たって重大な条件を見落としていた。私ともあろう者が!

 考えても見たまえ、諸君!生前に酒が好きだった霊魂もいれば、ビールが好きだった者も、さらには焼酎が好きだった者もいる。それだけではない。国際化の中でワイン、ブランデーの好きな御仁さえいたはずである。

 彼らは霊魂となってもその嗜好は変わらないはずである。(たぶん)「ワインを飲んでおくれやす」「庶民は発泡酒でっしゃろ!」と上方出身の霊魂は望み、鹿児島出身は「芋焼酎が最高でごわす」このように、霊魂も多種多様であり十人十色であるのは、いわずもがなである。

 短い出会いのために、人びとは全身全霊をかけてアルコールを飲むのである。だから、桜の花は何にもまして美しく、かつ儚(はかな)いのである。

    みはらし温泉

  住所:広島県三原市須波西町765−866

  泉質:ナトリウム・カルシウム、塩化物泉

 入浴料金は1200円で、タオル、浴衣の使用料も入っている。美しい瀬戸内海の風景を見ながら温泉を楽しむことができる。また、一般にある設備だけでなく、頭だけ出す蒸し風呂もある。さらに2Fには瀬戸内の魚を使った食事ができる施設もある。


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