連載小説　追憶の旅　　　　　「第５章　 新たな出発」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 作：夢野　仲夫

　登場人物とあらすじ
１章：美津子との再会(１〜３１４)　学生時代、大恋愛の末に別れた美津子の幻影から逃れられず、ずっとその幻影を追い続ける良(りょう)。その彼女に２０年ぶりに出会う。一方、妻子ある良に心を寄せる部下の恵理と彼女の親友の美紀。良を巡る３人の女性の愛憎を描く。

２章：千晴との出会い(３１５〜６３０)　大学を卒業してサラリーマンになった良が通う食堂で知り合った千晴。通りすがりの人が振り返るほどの美貌を備えた彼女。美津子との過去に縛られた良と千晴の想い出を織り交ぜながら、恵理と美紀との絡み合う愛。

３章：良の苦悩(６３１〜)　２０年前に別れた美津子との出会いが良の心を悩ませた。さらに千晴の化身のような美紀とひたむきに良を慕う恵理との間(はざま)を揺れ動く良。良をめぐる三人の女性の愛。

５章：新たな出発(１２８１〜)　良の周りに起こる目まぐるしいほどの様々な出来事。良の新たな出発とは？

「第５章　 新たな出発」

　　　(本文)　　美紀の窮地

　新たな出発２８１　通算１５６１
「部長さんは気を遣いすぎ。せめて私のところでは気を遣わないでね」。まるでわが子を諭すような口調であった。
「私は今、重大なアドバイスを求められている。企業の存続に係る…。断ることもできない…。自信がない…。どうしたらいいんだ…。」
脈絡もない言葉が彼の口から洩れた。ママは口を挟まず、ときおり自分と彼のグラスにビール注ぎながら、彼の言葉に耳を傾けている。

　新たな出発２８２　通算１５６２
「企業に入って、俺は一体何を勉強して来たんだろう…。今の企業、今の部門、今の仕事の知識しかないのではないか。考えれば考えるほど己の力の無さに愕然とする…」。
普段より彼のビールを飲むペースは上がっていた。思い出したように、時おりママのグラスにビールを注いだ。
いつの間にか、ママはカウンターの中から出て彼の横に座っていた。
「特に経理関係は知識が薄いし…」。良の口から出るのは弱気な言葉だけであった。

　新たな出発２８３　通算１５６３
「恵理がいてくれたら…。恵理…恵理…君が傍にいてくれたら…もっと勇気が湧くのに…なぜ、電話にさえ出てくれないんだ…」。
涙が彼の頬を伝わった。ママが横に座っていることさえ忘れているようであった。何を思いついたのか、
「部長さん…携帯を見せて頂けます…良かったら…」彼女は憂いのある瞳で良を見つめた。
「えっ？どうして？」「差し支えなければ…。」
彼は携帯をママに渡した。

　新たな出発２８４　通算１５６４
「どうするつもり、ママ？」「何でもないの…。部長さんの携帯を見たいだけ…スパイだったりして…スパイだったらどうする？」まるで少女のような悪戯っぽい目で彼を見た。
「ママって、変な人だなぁ。俺の携帯を見ても何もないよ。企業秘密も何も入ってない…。落とした時のリスクを考えて、得意先の企業名も登録していないし…スパイもできないよ…」。
「本当かどうか、チェックしていい？女性の名前がいっぱいだったりして…」。

　新たな出発２８５　通算１５６５
　「行きつけの店の女の子とか部下の関係だけだよ…ウソだと思ったら、中を見てもいいよ…」。
「ホント？本当に良いですか？」
「胸がドキドキする。他人の携帯の中を見るのは初めて…」。彼女は恐る恐る携帯を弄っていた。「何もないだろう？得意先の担当者と行きつけの店と飲み屋の女の子、それに部下だけ…」。ママは何も答えなかった。何かを思いつめたように、一つの画面を見ていた。

　新たな出発２８６　通算１５６６
「ママ、ビールを出して…」。彼女は携帯を持ったまま、黙ってカウンターの中に入り、冷蔵庫からビールを出して良に注いだ。
そして、決心したように彼女は店の電話を取り、番号を一つ一つ確認するかのようにプッシュボタンを押した。
何も気づかない良は、おでんを少しずつ口に入れながら、一人でビールを注いでは飲んでいたが、
電話機に話しかけるママの声に彼は耳を疑った。

　新たな出発２８７　通算１５６７
「恵理ちゃん？私のこと分かる？志乃(しの)よ。覚えてくれている？」彼はママを見つめた。彼女は微笑んで見つめ返した。
「たまには部長さんと一緒に遊びに来て…。エッ、部長さんとは会えないって？何があったの？」ママは何も知らない風を装っていた。
「良かったら、私に話して。何の力にもなれないけど…。」
恵理が何と答えているのか、良には聞こえなかった。
「じゃ、恵理ちゃん、一つだけ聞いていい？部長さんのこと嫌い？」単刀直入であった。

　新たな出発２８８　通算１５６８
　「嫌いになったのなら仕方がないけど…。そうじゃなかったら、恵理ちゃんはきっと後悔するわよ。部長さんはいずれ他の人と結婚するわ。恵理ちゃんはそれでいいのね。」
ママはたたみかけた。
　「馬鹿ねぇ、恵理ちゃん。部長さんのようなタイプはどんなことがあっても、心を売らずに生きていくものなの？恵理ちゃんが心配するようなことではないの。」
「恵理ちゃんのために会社を辞めずに我慢するって？本当にそう思っている？」

　新たな出発２８９　通算１５６９
良は酔いが醒めていた。
「あの頑固者で我儘な部長さんが？ウフ…、そんなわけないでしょ。しばらくの間でしょ。きっと好き勝手に生きること、あなたにも想像がつくでしょ。もちろん、仕事人間だから、何かに夢中になって働くでしょうけど…。」
恵理は一体何と答えているのだろうか？−良には想像がつかなかった。
「…彼を知っていれば誰でもそう思うでしょ。もう一度考え直した方がいいわよ。」

　新たな出発２９０　通算１５７０
　「もう一度聞くわ。部長さんのこと好き？…言ってくれるわねぇ。ところで、不景気でお店も大変なの。部長さんとお店の売り上げをウンと上げに来てね、ウフ…。今日もお客さんは一人もいないの。だから、恵理ちゃんにお電話できたのよ」。
　ママの口調から、恵理が態度を軟化させているのが窺えた。そのことが一筋の光明を与えた。しかし、芯の強い恵理のことだから、予断を許さないことも分かっていた。

　第５章ＢＮ(１５７１〜１５８０)
　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　トップページへ　　追憶の旅トップへ

　　　　　　　　第１章　美津子との再会(BN)
　(０００１〜)　偶然の再会「イタリア料理まちかど」
　(００２１〜)　別れの日
　(００３４〜)　家族の留守の夜
　００４７〜)　初めての衝撃的な出会い
　(００５３〜)　キスを拒む美津子
　(００７０〜)　恵里と美紀との食事　フランス料理「ビストロ　シノザキ」
　(００９１〜)　一人で思いに耽る良「和風居酒屋　参萬両」
　(０１０１〜)　良に甘える恵理「おでん　志乃」
　(０１２３〜)　恵理・美紀と良の心の故郷「和風居酒屋　参萬両」
　(０１３１〜)　恵理と食事の帰り路「おでん　志乃」
　(０１４１〜)　再び美津子と出会う「寿司屋　瀬戸」
　(０１６１〜)　恵理のお見合いの結末「焼き肉屋　赤のれん」
　(０１８１〜)　美津子と二十年ぶりの食事「割烹旅館　水無川(みながわ)」
　(０１９５〜)　美津子に貰ったネクタイの波紋「焼き鳥屋　鳥好(とりこう)」
　(０２０６〜)　美紀のマンションで、恵理と二人きりの夜
　(０２３６〜)　恵理と美津子の鉢合わせ「寿司屋　瀬戸」
　(０２６１〜)　美津子からの電話
　(０２８０〜)　深い悩みを打ち明ける美津子「レストラン　ドリームブリッジ」
　(０２９６〜)　飲めない酒を浴びるように飲む「和風居酒屋　参萬両」
　(０３０１〜)　美紀のマンションで目覚めた良

　　　　　　　　　　第２章　千晴との出会い(BN)
　(０３１６〜)　華やかなキャピー(佐藤千晴)との出会い「広松食堂」
　(０３２０〜)　千晴との初めてのデート
　(０３２９〜)　美しいゆえにに悩むキャピー
　(０３５１〜)　２回目のデート「蕎麦処　高野」
　(０３７１〜)　海が見える高台で…
　(０３８３〜)　手打ちうどんに喜ぶキャピー「手打ちうどん　玉の家」
　(０３９６〜)　過去に縛られる良への怒り
　(０４１０〜)　ラブホテルでの絆
　(０４３１〜)　夜の初デート「和風居酒屋　参萬両」
　(０４３９〜)　良のアパートで…。
　(０４７１〜)　恵理・美紀と「手打ち蕎麦処　遠山」　
　(０４８１〜)　美紀のマンションで長い夢
　(０５３１〜)　キャピーと初めての１泊旅行
　(０５４５〜)　２人で入った寿司屋に美津子が…「寿司　徳岡」
　(０５５６〜)　美紀と得意先に営業
　(０５８２〜)　キャピーとの別れの真相
　(０６１１〜)　美紀が恵理に宣戦布告「イタリア料理　ローマ」

　　　　　　　第３章　良の苦悩(BN)
　(０６３１〜)　恵理の葛藤「おでん　志乃」
　(０６５１〜)　良の隠れ家へ美紀が…「会員制クラブ　志摩宮」
　(０６７１〜)　マンションに誘う美紀
　(０６８６〜)　美津子から急な呼びだし
　(０７０１〜)　美津子の夫のアメリカ赴任「料亭　古都」
　(０７３１〜)　宣戦布告以来初めて３人で食事「豆腐料理　沢木」
　(０７４１〜)　馴染みのバー「クラブ　楓(かえで)」
　(０７５６〜)　人生の転換期の苦悩「ビストロ　シノザキ」
　(０７７１〜)　美紀の弟正一郎との出会い「イタリア料理　ローマ」)
　(０８０６〜)　美津子と想い出の店で「和風居酒屋　参萬両」
　(０８２３〜)　美津子との復活
　(０８５６〜)　フランス料理「右京」
　(０８８１〜)　スナック「佳世(かよ)」
　(０８９１〜)　美紀と初めての夜
　(０９１６〜)　良の家庭崩壊「寿司屋　瀬戸」
　(０９３６〜)　美紀の苦悩

　　　　　　　第４章　別れのとき(BN)
　(０９６５〜)　親友花村部長と４人で「寿司屋　瀬戸」
　(０９８６〜)　恵理の葛藤
　(０９９６〜)　レイクサイドホテル
　(１０３１〜)　美津子との距離
　(１０４６〜)　美紀のマンションで
　(１０６６〜)　恵理との小旅行
　(１０８３〜)　「日本料理　池田」
　(１０９４〜)　「恵理へのラブレター」
　(１１１１〜)　「恵理の初めての経験」
　(１１７６〜)　美津子の秘密「和風居酒屋　参萬両」
　(１１９６〜)　 美紀への傾倒
　(１２２１〜)　 最後のメール
　(１２５５〜)　江戸蕎麦「悠々庵」　＊リンク間違いをまたまた

　　　　　　　　第５章　新たな出発(BN)
　(１２８１〜)　恵理の引っ越し「おでん屋　志乃」
　(１３０６〜)　焼き鳥屋「地鶏屋」
　(１３６１〜)　恵理の新天地
　(１４０８〜)　おでん屋　志乃
　(１４５１〜)　暗転
　(１４９８〜)　日本料理　山園
　(１５３１〜)　おでん屋　三万両
　(１５５６〜)　美紀の窮地